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2013年5月

2013年5月26日 (日)

ジャンキー☆ストレート

6月9日のアイアンマン・セントレアへ向けて、team Triangleの練習会にお父さんと参加。

片道7kmの真っ直ぐな道でバイク練習。

 

どっはー、時速30kmで走り続けるのなんて、久しぶり。

あかん、身体に粘りがないわぁ。

 

んま、下り坂と平坦な道はザ・パワーって感じで苦手なのよ・・・。

上り坂ばっかりの方が燃える!!

だけど、セントレアのコースはほぼ平坦。

 

そして、私の弱点を発見。

コーナー360度折り返しが下手くそ。

頭の中でラインも描けていない。

 

セントレアのバイクコースはコーナーがいっぱい。

しかも周回、何回曲がるんだろ?

 

 

やっと練習できるまで回復してきたと思ったら、大会まであと2週間。

ま、焦らず、慌てず、あきらめず、だね。

 

大勢でのバイク練習もどれくらいぶりかしら?

たのしかった~♪

 

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2013年5月25日 (土)

お父さんのなみだ

この間掲載された、新聞記事を読んだテレビ局から取材。

6月9日にお父さんとアイアンマン•セントレアに参加する、ということで。
午前中はバイク練習のところを撮影、
午後からは、がん治療からトライアスロンに挑戦するまでのインタビュー。
家の中でのインタビュー前↓
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インタビュアーの方と↓
お母さんも一緒に LIVESTRONG!!!↓
「娘さんの病気が見つかったとき、どんなお気持ちでしたか?」
との問いかけに
「もう、娘と一緒に過ごせる時間は残されていないのかと…」
ぐっとこらえていたのかな、
お父さんの目から涙がぼろり。
そこで、空気を読めなかった私。
「お父さんが泣いているところ、初めて見たっ」
ここで私も涙したら、番組としてはおいしかったのかも…すんません。
「さすがに治療の終わりあたりは起き上がるのも大変で、あぁ、もうすぐ死ぬのかな、と思ったりしましたが。
自分ががん、になったと知ってから、あまり落ち込んだりしなかったんです。
それは、家族が深刻そうな雰囲気を出さなかったおかげ。
できるだけ笑って過ごそう、と接してくれたおかげです。
なので、治療中のたのしかった思い出がたくさんあります。
さらに好き勝手に行動させてくれたんですよね。
退院して外来での抗がん剤治療に切り替わってから、友達や先輩の家に泊まりに行ったり、カラオケ朝帰りしたり。」
そう、周りが普段通りに接してくれたおかげで
「私の病気はたいしたことないのかも。
んまー、命に関わることだとしても、自分の人生って自分の気持ち次第で変わるんだなぁ。」
こんなふうに考えられるようになっていったんだよね。
私がたのしい時間を過ごせたのは。
家族をはじめ、友達、先生、周りの方々が特別扱いをせず、普段通りに接してくれたおかげなんだ。
-LIVESTRONG☆Over Cancer Together-

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2013年5月24日 (金)

なくしたいもの

さっき、病気を治すことに必死になり過ぎてしまうと苦しくなる、と書いたよね。

それは、私自身のことでもあるんだ。

病変が広がっていた私、
「すべては消えないかもしれない」
治療前に聞いていたんだ。

その言葉通り?なのかな、
肝臓と脾臓は腫れたままなのよ。

だけど、今のところ特に治療は必要ないんじゃない?と10年経つ。

完全になくしたい、と願うのは。
病変でなく自分自身の中にある不安な気持ちを、なんだよね、きっと。

-LIVESTRONG☆Over Cancer Together-

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お願いしやーす

今日はね、朝6時から120kmロングライド、自転車に乗りたくて走り出したものの。

 

アカーン、さっぱりやる気が出ない。

さて、こういう時はやーめた、引き返そ、帰ろっと。

 

水曜日の夜にスクールへ行って、ローラ台でもがき練習などのパワートレーニングをして。

昨日、ほんとは120kmライドするはずが、バイクアクシデントで山道ランニングに切り替え。

今朝から筋肉痛が辛く・・・

明日はヒルクライムしながらテレビ撮影、取材、日曜日はジャンキーストレート練習。

 

あかーん、5日連続ハードになってまう。

「身体、もつかなぁ」と思いながら練習するのは、しんどいぜ。

 

ということで、今日はスイムデーに変更。

昼からの講義の後で泳ぎに行こうっと。

 

やっと!今週水曜日から練習スイッチオン。

100km走ってから、これまでも何度か「スッキリ!」な日はあったものの。

長くは続かず、次の日はやっぱりしんどい、というのが続いてた。

ほら、コンディション悪い中で100km走ったでしょ?

ダメージはでかい!よね、私は回復に3週間、かかったぁ。

 

一方、100kmを引っ張ってくれた、お父さんは。

マラソン1週間後あたりから、通勤ランニング、バイク、スイムレッスン。

えっ?大丈夫かな?と見ていても、ピンピンしてる。

 

ヤバイ・・・おそらくアイアンマン・セントレアでも引っ張ってもらうことになりそ。

先に言っておくね、お父さん、よろしくお願いしやーす!!

 

 

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わたしたち 自由だよ

最近、血液がんと診断された、ゆうちゃんと会うことに。

新聞に載った私の記事を読んで、連絡をくれたんだ。

 

状態や治療方法って、人それぞれ違うじゃない?

こういう時って、相手は何を必要としているんだろう?

私にできることは、体験したこと、

「こんな方もいるよー」と伝えること。

相手の話、気持ちを聞くこと。

 

つい、怖い、不安だと感じていること自体を否定したくなったりするじゃない?

「こんなふうに思っちゃダメ、前向きにいかないと」とかさ。

気持ちを自分自身ではなかなか受け止められなかったりね。

周りの人に気持ちを受け入れてもらうことで、自分でも気持ちを受け入れられたりすることもある。

 

怖いなぁ、不安だよ、どうしよう、と感じることは当たり前のことだよね。

だから、大丈夫。

そのまま、悩んでいてもいいし、落ち込んでいてもいいと私は思う。

「このままじゃ、いやだな。何しようかな?」と思ったら、何かしたらいいし。

自分の気持ちを自分で受け入れてあげたら、自然と今、したいことが見えてきたりするのよね。

 

自分の人生をどう生きたい?

 

先のことは誰にもわからない。

それは病気であろうが、なかろうが、みんな同じ。

先のことを何とかしようとしても、なんともできないよね。

 

できることは、今、何をするか?

 

今日、一日、何したい?

 

今、この一瞬の積み重ねが未来へと繋がっていくんだよね。

過去に生きるでも、未来に生きるでもなく、今。

 

私は22歳のときにがん治療が始まった。

周りの友達は、仕事、遊び、恋愛、結婚・・・と楽しそうだったんだよね。

もしかしたら、もう人生が終わるかもしれない、と思っていた私。

「くっそー、このまま終わるのは悔しいぞ。私もたのしんでやるっ♪」

 

今、できること、したいことを探して。

入院中は、顔をパックしたり、鯉に朝残しておいたパンをあげたり、マンガをひたすら読んだり。

副作用で髪の毛が抜け始めた時、ドライヤーで髪の毛を乾かすとぴよぴよーっと飛んでいったのを

「わー、飛んでいくよ、キャーーーッチ!」と看護師さんと遊んでいた記憶が。

 

外来治療に切り替わってからは、夜、カラオケに行って朝帰りしたり、

友達や先輩の家に遊びに行って(頭が蒸れて痒くなるのが嫌で、ウィッグじゃなくてタオル帽子のままだった気がする)泊まったり。

「これが人生最後のプールになるかもしれない」

さすがに泳ぐのは怖かったから、水中ウォーキングしたり。

 

他にも、温泉へ行ったり、海を見に行ったり、うなぎを食べに行ったり。

「いつ動けなくなるかわからないから、動けるうちにいろいろしよう」

 

さすがに治療の最後の方は、寝返りを打つのも大変になっちゃったから動けなかったけれど、音楽番組をひたすら観ていた覚えが。

 

で、「これが人生最後かもしれない」って思ってたら、そんなことはなく。

ちょっと大げさだったかも、と今更ながら思ったりもするんだけどね。

あれから、もうすぐ10年経つ。

 

「治すこと」

「悪いものを取り除くこと」

どうにかしたい、という気持ちもあるよね。

治すためにはどうしたらいいんだろ?と必死になったりもする。

 

これは私の考えね。

治るか、治らないか、それは未来にならないとわからないじゃない?

「治す」という目標に向かっていくことは、とても大切なこととは思う。

 

だけど、そのことに必死になり過ぎると、どんどん苦しくなっていくんじゃないかな?

 

民間の代替療法や宗教にお金を注ぎ込んだり、何かにすがりつきたくなる気がするの。

もちろん本人が納得して、周りも納得してそれで気持ちが落ち着くなら、それはそれでいいのかもしれないけれどね。

 

んーと、この間も末期の肺がん、余命を告げられた家族の方と話す機会があって。

「どうにかしたいんです、なんとか生き延びる方法がないかと探していて。」

そう胸の内を涙ながらに話してくださったときに、強烈に感じたの。

 

あ、治すことがすべてじゃない、ってね。

なんだか今、この時間がもったいないんじゃないかな?

 

「人それぞれ、考え方や価値観は違うので、あくまで私の考え方、なのですが。

治すこと、そのことに向かっていくこと、方法を探すことはもちろん大切だと思います。

一生懸命になるお気持ちもありますよね。

私が思うに今、ご本人さんと過ごす時間も大切ではないでしょうか。

一緒にどこかへ出かけたり、何かおいしいものを食べたり。

日々の生活で、できること、したいことをして、一緒に過ごす時間も大切にされてはいかがでしょう?」

 

すると

「私はこれまで、治すことに必死になっていました。

なんとかできないか、方法を探すことばかりに力を注いできました。

一緒に過ごす時間を大切にするという考え方は、私にはありませんでした。

そうですね、今、この時間を大切にたのしく過ごせるようにも考えていこうと思います。」

泣き顔が笑顔に変わっていったの。

 

きっとね、

病気やケガなど、思い描いていた人生と違う状況になった時、

"生き方"がくっきりと浮かび上がるんだろうね。

 

そこからが新しい人生のスタートとなる気がしてる。

 

どう思うも、何を考えるのも、何をするのも、自由なんだよ。

 

さぁ、今日は何したい? 何しよう?

 

 

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2013年5月22日 (水)

お父さんの背中

4月28日、知多半島一周ウルトラ遠足(とおあし)、100kmマラソンの朝。

 

スタートは5時、4時には起きて朝ご飯を食べようとするも、まったく喉を通らない。

スタート前にご飯が食べられないなんて!こんなこと、初めて。

 

うー、無理やり食べるよりは、途中で調子を見ながら補給をしていった方がいいかな。

 

20km、50km、80km地点で受け取ることのできる荷物を受付に預けると、外はうっすら明るくなってきた。

とは言え、まだまだ寒い。

ホッカイロを身体の両面に貼り、透明なゴミ袋を被って寒さ対策。

 

5時、スタート。

 

地図を見て、だいたいのコースはわかったけれど、スタート、と折り返し地点、消えかかってる師崎付近の道が???

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100kmは長い、歩いてスタートしたものの。

他のランナーさんに置いて行かれると、道を見失いそうでちょっとずつ走り始め。

 

あっちー、貼るホッカイロが発熱!慌てて取って海岸沿いの道へ。

 

ね…眠…い、意識が…。

次の瞬間、コケッ。

おっと!走りながら寝てた。

 

たぶん、10km過ぎくらいから低血糖の症状が徐々に出てきてたんだよね。

太陽が高い位置へ昇り、気温がぐんぐん上がる。

20km地点のエイドで補給をするも、30km地点を目の前に身体が痺れてきた。

 

「これは、ヤバい。自分が感じてるよりもずっと低血糖が進んでる。」

 

これまでトライアスロン、100kmマラソン、と参加してきたけれど、本気でリタイアを考えたのは今回が人生初。

30kmのエイドステーションまであと少し、のところでスーパーへ入るも、おにぎりがない!!

オレンジジュースを飲んでみるも、気休めにしかならない。

 

なんとかエイドステーションにたどり着き、近くにあったコンビニへ駆け込み。

この時点でかなーり気持ち悪くて、あぁ、ピンチ。

 

しかも知多半島の東側は西側に比べてアップダウン、風が強くなってくる。

隠していたつもりが、状態がよくないことはお父さんにバレバレ。

「お父さんが先に走るから、後ろをついておいで。」

 

そう、マラソンも自転車と同じ。

ドラフティング、人の後ろについて走ると風の影響を受けにくくなったり、ペースメイクをしてもらうことで精神的にも楽になったりするの。

 

おぉ!これまで私の方が力がある、と思っていたけれど。

サポートするつもりが、逆にお父さんに引っ張ってもらってた。

 

同じペースで走るお父さんを風除けにして後ろ姿にぴったりくっついて走っていくと。

折り返しの50km地点前あたりから、復活!!

 

折り返し100kmのコース、すれ違う選手同士で

「ファイト!」

「マイペースで♪」

と声を掛け合う。

 

ここで、チーム・メッセンジャーのランちゃんとすれ違い。

3年くらい前かな、がんサバイバー・ホノルルマラソンツアーの練習会でウルトラマラソンランナーのランちゃんと出逢い。

 

「100kmは1回目はしんどいかもしれないけれど、2回目からは身体が慣れるのか楽に感じられるようになるよ。」

とランちゃんから聞いて、100kmマラソンに挑戦してみようかな、と思ったんだよね。

憧れのランちゃんと声を掛け合うとさらに元気回復!

 

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↑坂道を登り、折り返し地点の50kmでお父さんと↑

太陽の光がキレイ☆

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↑走ることで がんと闘う方を 応援できたら♪↑

 

とらいあんぐるの監督さんたちが応援にきてくださっていて、さらに元気が湧いてきた。

そうそう、100kmマラソンってね、あまり応援されることがないのよね。

交通規制もされない大会が多い。まぁ、時間が長いからね。

だから、応援してくださるととってもうれしい!!

 

「おりちゃーん!」

あっ、きょーちゃん!!

自転車で応援にきてくれたのね。

チョコレートや夏の畳の味がする"ここでジョミ"を手渡ししてくれた。

 

「コースの最後の方で、私設エイドステーションを作って待ってるね」

きょーちゃん、あなたのホスピタリティ、とってもステキよ☆

 

しばらく走ると60km地点、待っていました!お味噌汁。

行きにここのエイドステーションで「帰りはお味噌汁とおにぎりを準備して待っていますから」とボランティアの方から聞いて。

これをたのしみにここまで走ってきたのよっ。

 

六甲縦走キャノンボールの時も感じたんだけど、お味噌汁パワーはすごい!!

一気に復活していくのよね。

ごちそうさまでした☆

 

潮干狩りのお客さんの間を抜けながら走っていると

「がんばってー」と声を掛けてくれる。

車の中からも声援が飛んできて、背中をぐーっと押され。

 

補給のためにコンビニへ入ると。

「さっきから見かける、このナンバーカードは何ですか?」

「マラソン大会なんです、常滑から河和あたりを往復100km。」

「えーっ、この暑い中?すごい、がんばってくださいね。」

 

応援が疲れた身体に染み渡る。

 

だんだん日が暮れてきた。予定ではもうすぐゴールだったのに。

ペースを上げることができない私、お父さんが引っ張り続けてくれる。

少し風が出てきて冷えてきた、残り20km地点のエイドステーション。

ボランティアの方が必死に選手のために何かできないか、声をかけてくださる。

心細くなってきたところだったから、余計に励まされたんだ。

行きに預けておいたアームカバーや手袋を着けて、ライトを持ち、走り出した。

 

あたりは真っ暗。

ライトを点けて、どうにかこうにか走り続ける。

残り10km地点がゴールまで最後のエイドステーション。

 

かと思いきや。

「コーラ、チョコレート、バナナはいかがですかー?」聞き慣れた声。

きょーちゃん!!

私設エイドステーションを作って、選手たちをおもてなし。

しかも「Over Cancer Together-がんを共に乗りこえよう-」キャンペーンのポスターを貼って。

あなたは、ほんとにすごいっ!!

 

さーて、あと少し。

と、いうところで、まさかのコースアウト。

 

行けども行けども、ゴール地点のホテルが見えてこない。

人通りがまったくない道、偶然にも犬の散歩をされている方を発見!

道を尋ねると、ありゃ、曲がるところを直進してきちゃったみたい。

よかったぁ、なんとか無事にゴールが間近に。

 

ようやく100kmのフィニッシュライン☆

記録は16時間21分。

予定していた14時間以内には及ばなかったけれど、本気でリタイアを考えるほどコンディションがよくない中、ここまでこれただけでもすごいよね。

お父さんのおかげだよ★ありがとう

 

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苦しそうにしていた私を見たお父さんが

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おっさん

あぁ、バタバタしてたら最後の更新から一週間経ってた……

 

何から書いたらいいんだっけ?

ちらほら書きかけのものが、あったような。

 

一度更新したものを読み返すことはしないのよ。

そもそも、読み返す勇気がなくてねぇ。

あー、ヤダヤダ。

 

ん?なんじゃ、こりゃ?

ナツ(フェレット)が、ものすごい格好で寝てるzzZ

フェレットって不思議、ハンモックの上で寝るのよね。

 

ナツ、おっさんみたい…ぷくくのく。

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もう一匹、茶色のココは寝顔を絶対、見せてくれない。

のんびり自由気ままなナツと、ビビりな繊細で頭がいいココ。

性格がココとナツで全く違って、おもしろい♪

 

そうこう書いているうちに思い出した!!

さくら道や100kmのマラソンのことが途中書きだったんだ。

 

じゃ、まずは記憶に新しい、4月28日にお父さんと走った100kmマラソンから。

 

 

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2013年5月16日 (木)

5/13中日新聞 朝刊 

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2013年5月13日 (月)

いつかどこかで

"好きなことを通して どなたかの力になれるかもしれない"

 

「生きる希望、ありがとうを伝えたい気持ちがあるのですね。

なぜトライアスロンやウルトラマラソンを通してなのでしょうか?」

んー、たまたま好きだった、憧れていたから、なんだよね。


音楽が好きだったら音楽でもいいし、絵が好きだったら絵でもいいし…

言ってしまえば好きなことじゃなくても。

 

"どこかのどなたかの力になれたらいいな"と、

ごく普通に生活していくことでも、ひょっとしたら手助けに繋がるかもしれない。

どなたか、というのは、身近な人、家族かもしれないし、友達かもしれない。

はたまた遠く顔さえも知らない人かもしれない。

 

つい、一人で生きていける気になったりするけれど、お互いに支え合ってどこかで繋がっているんだよね。


そりゃ、自分以外の誰かに対して、でっかい特別なことができたらステキ☆だけど。

ちょっと手が届かなさそう、難しそう、自分がしんどくなりそう。

ほんの少し、でいいんだと思う。
行動に移すのが難しかったら、想うだけでも空気で伝わると思うんだ。


たとえ寝たきりになったとしても

「生きているだけ、ここにいてくれるだけでうれしいよ」

そう感じてる人が必ずいる。


それぞれがみんな大切なんだよ。


できることをできるだけ。

私のチャレンジがどなたかの力になれたら、うれしいな♪

(少なくとも私は私自身のチャレンジによって「もっと生きられるかもしれない」と励まされてるから、ま、いいっか。

ほー、自分で自分を励ますなんて、リーズナブル★)

 

 

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明日の朝刊

あー、100kmマラソンの続きを書きたいところ。

その前にお知らせ♪

明日の中日新聞、朝刊に100kmマラソン前日に受けた取材、父と私の記事が載る予定とのこと。

どこかのどなたかの力になれたら、うれしいな。

-LIVESTRONG☆Over Cancer Together-

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2013年5月10日 (金)

なかみ

なかみ
そーいや、100kmマラソンについて書いてたはずが、前日の話で終わってるね。

マラソン前日の夜にスタート地点である、常滑市のAUホテルへ。

そこで初めて渡されて知った、コース。

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見上げた空の色

どん底に落ちそう 抗わず そのまま身を任せて

泣くだけ泣いて 落ちるだけ落ちたなら

空を見上げてみたくなるのかもしれない


父、母は言う

「泣くだけ泣いたから あとは笑っていこうと決めたの」


泣くのは負ける気がして 泣けなかった私は

心から自分の状況を受け入れるのに 何年かかったかな


どこかで覚悟してた

「もうこの景色を見ることは 二度とないのかもしれない」


このまま人生が終わるなんて 悔しいじゃない?

どうせなら たくさん笑って 生きてやる

意地を張っていたね

泣いてもいいんだよ

あの頃の私に言いたい


時間は 戻せないから

あなたに言うよ、泣いてもいいんだよって


大丈夫、
いつか見上げたくなる時が くるよ


-LIVESTRONG☆Over Cancer Together-

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10年めにして知ったこと

あっ、そうだ、さくら道国際ネイチャーランでのエイドステーションボランティアのことも書き途中だったっけ。

ギックリ首のおかげもあり、ししばらくパソコンや携帯電話を触れなくて、書きたいことが溜まってる。
書こうとはしてみるものの、全然追いつかなーい。

 

んーと、話は前後してしまうんだけど、先に記憶に新しい100kmマラソンのことから。

 

4/27(土)、マラソン前日に地元の新聞社から取材を受けることに。
まずは愛知池で写真撮影。

「このアングルで撮ると、こんな風に見えるんですよ。」
カメラマンさんのカメラ技術はすごい!!
そして、気分の乗せ方もうまい。

「にこにこ、にこにこ」と言いながら走っているところを撮ってもらって。
がん治療と家族についての話をするために家へと移動。

父、母、記者さん、私、で3時間近く話してた。
両親からこれまで聞かされていなかったエピソードがポンポン出てきて、私はたまげたよ。

去年、RFL芦屋前にテレビ取材は、お母さんと私の2人で受けたんだよね。
今回、お父さんも揃って、ということで、出てくる、出てくる。
そんなことあったの?

「えっ、知らなかった!」
「だって、言ってないもの」

 

ぬーん、がんと診断されて10年目に知る、当時のこと。

 

あれれ?診断された時、そんなに深刻だったんた。

ほら、普段「進行期、ステージ4だったんだよ」なーんて自分でも言ってるけれど。
実はあんまりピンと来てなかったんだよね。
未だによくわかんない・・・だから、こうして語れるのかもしれないね。

「どうやってがんが見つかったんですか?健康診断?」
記者さんからの質問にお父さんが話し出した。

「健康診断の結果は、異状なしとされていたんですよね。
後から画像を取り寄せたら、異状とみなされるようなものだったそうですが。
その画像ががんと診断される1年半以上前のものでしたから、実際はもっと前から少しずつ進行していたのでしょうね。

 

あの日、初めて病院へ行った日の朝。
おはよう、と、おりちゃんの顔を見ると、パンパンに浮腫んでいたんです。

さすがにこれはおかしい、と思って近所の総合病院へ母親が連れて行きました。」

あ、そこのところは覚えてる。
お父さんに言われて、鏡でパンパかパンな自分の顔を見て「なんじゃ、こりゃ」と笑っちゃったもん。

そして、総合病院で診てもらって検査をしていったんだよね。

ここで知らなかったエピソードがごろごろ。

「状況は厳しいです、覚悟してください、助かるのは難しいかもしれません、というようなことを言われまして。
おりちゃんに隠れて、私たちはワンワン泣きました。」とお母さん。

この辺りについては、去年チラッと聞いたけれど、あれ?
お父さんも泣いていたんだ。
およよのよ、あきらめた方がいい、そこまで言われていたなんて、知らなかったぞ。

「そう言われた次の日の朝ご飯は、喉が通りませんでした。
おりちゃんは何も知らず、目の前で普段どおりにご飯を食べていたんですよね。
見透かされてはいけない、と無理やり笑顔でご飯を口に押し込んだことは、はっきりと覚えています。」

し、知らなかった…そうだったんだ。

記者さんから
「その頃、娘さんに対して、どんな思いがありましたか?」に対してお父さんが返す。
「おりちゃんとの時間を大切にしよう、と思っていましたね。」

「もう笑える日なんて来るのかな、と思っていました。
泣くだけ泣いたら、笑顔でいよう、そう気持ちを切り替えました。」とお母さん。

私はがんだと診断されてから、両親が泣いているところ、ショックを受けているところは見たことがない。

「ここでは治療をすることができません、と総合病院で言われて、大学病院へ転院しました。」

たまたま、その大学病院で血液がんの研究をされている先生とお父さんが知り合いで。
転院する前だったかな、相談したんだって。
そしたら「今はいろんな治療方法が開発されています。大丈夫ですよ。」というようなことを言ってくださったんだ。

 

その先生の紹介で主治医おかもっちと出逢い。
数日後、一通りの検査結果が出た夜。

「インフォームドコンセント、先生から診断の結果と治療についてのお話を伺った時。
淡々と状態と治療方法の説明があり、安心しました。」

そう、入院前に答えたアンケートには、こんなような質問がずらり。
「ご家族のみにお話しますか?ご本人は同席されますか?」
「自分の症状について、どの程度知りたいですか?」
「命に関わる症状だったとしても、知りたいですか?」
「同席されたい方は、どなたですか?」

22歳とは言え、自分の身体のことはちゃんと知りたい。
同席するのは…お母さんに頼むのはやめておこ。
お父さんだけで、ってことで。

「おりちゃんには2歳年下の弟さんがみえましたよね?
弟さんにはどう話されたのですか?」と記者さん。

顔が浮腫んでビックリ!あたりまでは弟は家にいたんだけど、その後すぐに留学。
状況を伝えてもどうこうできるわけではないし、年末年始に一時帰国するちょっと前に私からメールで伝えた記憶が。

あぁ、こうして両親と一緒に当時を振り返ることができて、知らなかったことを知って、隠されていた想いに気付いたり。

 

「入院する前日だったかな。
日ごとに病気が進行していたのか、発熱している中。
本当は走るはずだった、豊田スタジアムでの6時間リレーマラソン大会を親子3人で見に行ったんです。
"来年、私はこの大会を走るんだ"と決意しました。」

 

そして、治療後に6時間リレーマラソンへ向けて、親子3人で走り出したんだ。

 

あれから10年めとなる今年。
100kmマラソンとトライアスロン・ミドルディスタンスを父娘で挑戦☆となったんだよね。

 

わーん、この取材の次の日が100kmマラソン、
想いがいっぱいの中、走ることになったんだ。

で、この取材の内容がいつ掲載されるのか、
本当に掲載される?のか、まだわからないんだけどね。

 

こんな素敵な機会を作っていただき、お話を引き出してくださり、記者さん、ありがとうございました。

 

がん=死、という面もあるかもしれない。
だけど
がん=生、という面もあるんだ。

がんが消える、消えない、状況に振り回されたりもするけれど。
どんな時も自分の人生を生きること、
今、できること、したいことをすること、忘れないでいて。

がんばらなくていい。
できることをできるだけ。

 

がんであっても、なくても

私は私、あなたはあなた

 

自分の人生を生きたい

 

 

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2013年5月 8日 (水)

キキちゃんと竹島と時手紙と

首が痛いながらも、2日前だったかな。
がん治療中のキキちゃんと蒲郡市にある、海辺の文学記念館へ。

ほら、時手紙を出せる場所。
1年から10年後のいずれかの月に届くように手紙を出せるのが、時手紙。
がんサバイバーのカツオさんに教えてもらってから、いつか行きたいなと思っていたんだ。

あらかじめ手紙を書いて持って行っても出すことができるし、その場で書くこともできる。
便箋5枚と封筒をくれるのよね。

「おりちゃんだけ書きなよ」とキキちゃん。
うへへへっ、せっかく一緒に来たんだもーん。
キキちゃんがボーっとしている間にこっそりキキちゃん分も申込。

「えっ、えー!?何を書けばいいんだろ・・・」
それぞれ40歳の自分に向けて、手紙を書くことに。

お互い、この手紙を自分で受け取れますよーに。
そして、届いた手紙をお互いに見せ合いっこする約束☆

キキちゃんは素敵なあったかい顔をして笑う。
この笑顔をいつまでも見ることができますよーに。

神様、いるんだかいないんだか、わかんないけれど。
海に向かって心の中で祈ったんだ。

なんだろーね、キキちゃんの力になれたら、と思っているところ。
キキちゃんといることで、私が救われている気がするの。

治療中、こんなふうにしてもらいたかったな、と私が感じたことをキキちゃんにすることで私自身を救っているのかもしれないね。

 

 

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ギックリ首

4/28に100kmを走って。
2日間、家でのんびーり。
そして走ってから3日め、朝起きると。
く、首が動かない・・・。
首に激痛走る、ぎっくり腰ならぬ、ぎっくり首。

これ、去年の今くらいにもなったんだよね。
あー、ちょっと動くだけで痛い。

前に整形外科でもらったカラー(首のコルセットみたいなもの)をして、できるだけ首に負担をかけないように、と一日、横になって過ごしたものの痛みは引かず。

うれしくないんだけど、私、首が長いんだよね。
合わせて姿勢がよくない。
この頃、テレビなどで耳にするストレートネックなのよ。

ぎっくり首になっても整形外科へ行ったって、湿布と痛み止めもらっておしまい、だよなぁ。
安静が一番の薬ね。

どーにかこーにか歩けるほどにはなってきて、鍼を打ってもらいに行くと。
ずいぶんと動く範囲が広がった!!

んが。
次の日、起きると・・・イテテテテテ。
ちょうどたまたま、その日は筋肉をゆるめて回復を図る整体「エイド・ステーション」の予約を入れていたの。
車の運転、左右確認は身体ごと向かないとできなかったり、階段も首を固定していないと上れなかったのが。
施術を受けると、痛みが引いてきて。
首や背中周りの筋肉の引っかかりが取れてきたような感じ。

そして、首が痛くなって3日目。
かなり首が動くようになってきたのと、痛みが引いてきたのと、で。
はー、よかったぁ。
すごいぞ、筋肉トリートメント。

それにしても、痛みって、ものすごいストレスだね。
痛みが続くって、出口のないトンネルの中をずーっとモゴモゴしてるみたい。
こりゃ、つらいわ。
今回、痛めて改めて思った。
時間が過ぎたら忘れちゃうんだろうけどさ。

昨日あたりまで、体調は低空飛行だったんだけど、今朝は。
何日かぶりにスッキリさわやか軽やか~♪

今夜はバイク練習へ行ってくるぞ☆

 

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ぺっしゃんこ

わー、まだ身体の芯に疲れが残ってるんだね。

特に自覚はないんだけど、走ったりすると…身体に粘りがなーい。
ぺっしゃんこ。

久しぶりに行ったスクールで、
ローラー台に乗っての、バイクペダリング練習。

これまで先生が言っていること、あんまりわからなかったけれど、ようやく!言っていることが身体でわかった。
こーんな感じ?というのを掴めた気がする。

この感覚を忘れないよーに☆

来月9日には100kmマラソンに続き、お父さん(あと数日で58)とトライアスロン大会のひとつ、アイアンマン・セントレア(水泳:1.9km、自転車:90km、マラソン:21km)に出場するのよね。

100kmマラソンの数日後から、すでにお父さんは練習再開してるみたい。
ヤバイぜ、私。

これまで、失礼!?なことに私の方が実力が上だと思ってたわけ。
だけど100kmマラソンでの私のヘタレっぷり、お父さんのサポート力や疲労回復の度合いを見ていると。
お父さんの方が力があるっぽいぞ。

IMセントレアまであと一ヶ月、まだ体力は回復してないから。
技術を磨いて、サポートされる側からサポートする側になりたいな♪

 

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